尾田栄一郎:
僕、映画に関しては“世界観があればオールオッケー”という見方をしているんです。宮崎作品がなぜ好きかというと、印象的なシーンが完成されているから。たとえストーリーがつながっていなくても、そのシーンを観るのが楽しいんです。だから、「千と千尋の神隠し」以降は、ストーリーに関していえば全然意味が分からない。「ハウルの動く城」も「崖の上のポニョ」も何度も観てやっと自分なりの解釈が生まれるくらいで、理解するのに時間がかかりました。
宮崎さんが映画を作るときは、はじめから全ストーリーが決められているわけではなく、スタッフ全員もエンディングを予想できないまま作っているそうですね。だから、宮崎さんは連載作家なんだと僕は認識しているんです。しかも、僕が子どものころ大好きだった巨匠たちの作り方をやっている人。このシーンが面白ければいいんだという作り方で、ストーリーをどんどん紡いでいる。
面白さを単純に追求していくと、こういう作り方になるんでしょうね。宮崎さんくらいの人になると、つじつまを合わせようと思えばできるんです。絶対。ただやらないだけなんですよね。それがなぜなんだろうというのが、ずっと僕の疑問だった。なんでわざわざわからなくしてしまうんだろうって。
僕は世の中にある物語で、「風の谷のナウシカ」と「天空の城ラピュタ」は2時間モノの作品では誰にも超えられないと思っているんです。それぐらいパーフェクトなお話なんですよ。あれを作っちゃったら、もう自分でも超える意味がなくなると思う。だからその上をいくよりも、とにかく作りたい映像の羅列で遊んでいる、という印象を受けるんです。
宮崎さんは、一生かけても時間がないくらい、描き切れないほどの映像を頭のなかに持っているんだと思うんですよ。なのに、なんでもつじつまを合わせなきゃいけないとなると、描きたいものを削らなきゃいけなくなる。だから、宮崎さんは、もうそれをしたくないんだ。つじつまが合わなくてもいいから、描きたいものはみんな描くんだという気持ちがある。そういう積み重ねが「千と千尋」以降の映画だったと思うんです。
千と千尋なんてまさにそうやな