その時――チームの絶対的エースにボールは渡った。エースはそのまま凄まじい勢いでゴール下までドリブルしていき、シュートを打つために高く飛んだ。だが敵もさるもの、ふたりの相手チームの選手が、彼のシュートを阻止するためにほぼ同じ高さまで飛んでいる。残り時間は2秒。わずか1点の差が重くのしかかってくる。と、その瞬間、エースの目に、すぐ傍で両手を広げて立っている赤い髪の少年の姿が映る。「左手はそえるだけ…」。そうつぶやく赤い髪の少年に、エースはすべてを託すことにした。それは、バスケの天才である彼がはじめて、“初心者”の元不良少年を一人前(いちにんまえ)の選手――いや、“仲間”として認めた瞬間だった。パス。そして――。
これは、ご存じ井上雄彦の『SLAM DUNK』のクライマックスシーンだが、ここにいたるまでの23ページはセリフもナレーションも一切なく、つまり、絵だけで試合の流れや選手の動きを見せている。週刊連載の漫画としてはなかなか思い切った表現ではあるが、こうした描写はそれまでのスポーツ漫画でなかったわけではないし(たとえば小山ゆうが『がんばれ元気』のクライマックスシーンで、20ページに渡って同様の描き方をしている)、すでに多くの書き手がいろいろな角度から論じていることだろう。だから本稿ではそうした漫画表現論的なことよりもむしろ、前述の赤い髪の少年――主人公の桜木花道が放った最後のシュートが、なぜ、作品のタイトルにもなっている、そして絵的にも派手なダンクシュートではなく、「左手はそえるだけ」の基本に忠実なシュート(ジャンプシュート)だったのか、ということを問題にしたい。
■ひとりでは出来なかった技
結果からいえば、このとき、エースの流川楓からのパスを受けた桜木は、美しいフォームでシュートを決める(そして試合に勝つ)。なお、「左手はそえるだけ」というのは、ダンクとレイアップしか決めることのできなかった桜木のために、キャプテンの赤木が通常の練習のあとも体育館に残って、何度も反復させた基本的なゴール下のシュートの“教え”のひとつだ。そう、桜木にとってこのシュートは、(彼自身もがんばったが)ひとりだけで完成させたものではないのである。
これ以上の力強い技(というか極めて『少年ジャンプ』的な技)がほかにあるだろうか。だからこそ、この稀代のスポーツ漫画の最後を飾るのは、主人公が持ち前の運動能力を活かして自力で決める派手なダンクではなく、彼を信じてパスを出したエースや、毎日の基礎練習につきあってくれたキャプテンの想いをつなぐ、堅実なシュートでなければならなかったのだ。それは、「友情・努力・勝利」という『少年ジャンプ』の3大原則を踏まえたクライマックスの定型であると同時に、バスケットボールという球技に対する井上雄彦の誠実な気持ちの表われでもあっただろう。
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第二部完の時にやるんだろ
あれをダンクで終わらせるのはハリウッド映画のセンス