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58歳になる荒木飛呂彦さんは窓際にある大きな机でペンを走らせていた。机上には作画の参考にした馬のフィギュアと折り紙のカエルがある。物として手に取るためだ。
細部の「リアリティー」が作品の生命線であり、世界を支える。そんな強いこだわりが垣間見える机だ。
「僕にはこの机さえあればいい。そうすれば漫画が描けるから……」
描いているのは、連載中の「ジョジョの奇妙な冒険」第8部に当たる「ジョジョリオン」の最新話だった。
人気がなければ容赦なく打ち切られる少年漫画誌を中心に、荒木さんは30年以上にわたって「ジョジョ」の物語を描いてきた。今でこそ多くの人がファンを公言しているが、長く「異端」の存在だった。
しかし、と荒木さんは断言する。
「これ以上、王道の漫画はない」
それはなぜか?
初代「ジョジョ」担当にして、デビュー前から荒木さんの作品を見てきた編集者、椛島良介さんは当時をこう振り返る。
「早々に打ち切りを覚悟したし、設定にも懸念があった」
「ジョジョ」の人気はなかなか出なかった。
ここで荒木さんは、椛島さんも驚く手を打つ。主人公の交代だ。
ジョナサンが主人公の第1部から、第2部はジョナサンの意思を受け継ぐ子孫、ジョセフ・ジョースターを主人公にした明るい冒険活劇で物語を盛り上げた。
これがトーナメント方式を回避するという効果をもたらした。以降、「ジョジョリオン」に至るまで8人の主人公を通して「ジョジョ」は描かれてきた。
荒木さんが振り返る。
「当時はバブルに向かうころでしたから、時代の空気は上へ、上へと向かっていたんです。トーナメント方式を採用したマンガは時代の空気と重なっていました。
僕はその空気に乗れなかった。上に行ってもいずれ頭打ちになったら、どうしたらいい?って考えてしまうんです」
だからこそ、時代に流されず、自分が描きたい漫画を描くことが大事だったのだという。
「僕はサスペンスを描きたいのであって、それ(トーナメント方式)は描きたい漫画ではない。自分が描きたいものがぐらついたら漫画は終わりです」
主人公も設定も変わるのに、なぜ一本の漫画として続けているのか。それは「人間賛歌」という一貫したテーマがあるからだ。
作品を貫くテーマがあり、少年漫画のルールにのっとっているからこそ、ジョジョは「王道」なのだと荒木さんは語る。
「僕が『ジョジョ』を王道だと呼ぶのは、主人公、悪役であってもキャラクターの志は前向きだからです。そこに悩む人物は描かない。
人生に悩むのは普通のことなので、退屈になってしまう。前向きな志同士がぶつかり合うことで、化学変化やサスペンスが生まれると思って描いています。
登場人物のベクトルは常にプラスに向かっていないといけない。大原則は成長すること。闘うことに悩まないこと。そして、闘うときは孤独であることです」
「少年漫画の登場人物は常に前向きでなくてはいけないというのがルールです。後ろ向きになる、闘うことを悩み続けるというマイナスな要素を入れ込むと、読者はうんざりしてしまう。
『ジョジョ』はこのルールに忠実にのっとっている。だから、王道だと言ってきました。主人公たちを過酷な状況に追い込み、成長しながら道を切り開かせる。
闘うときに、偶然や誰かに頼っているようでは『ジョジョ』は成立しません。1人で立ち向かわなければいけないのです」
いつもの作業机でペン入れをする荒木さん(撮影:殿村誠士)
何をするだァーッ!は修正済み